HIDEMIサロンへようこそ。
今日は、4月1日。新年度がスタートしましたね!!
街で、新入生、新入社員の初々しい姿を見て、自分の時を思い出したりしますね。またご本人の方、ご家族の方が、新入学・新社会人の方もいるでしょうか?おめでとうございます。
春はあらゆる植物の芽吹きの季節。生命の輝きを感じ、太陽の暖かさ・偉大さに気づく季節でもありますね。太陽のエネルギーをたっぷり浴びてください。それだけでも気分が違いますよ!
私は、30年前の今日、社会人生活がスタートしました。今の仕事とは全然、畑違いの人事部で給与関係の仕事をしていました。23年間、その部署で全うさせていただいて、7年前の3月31日に退職しました。
春は決断・選択したことを始める季節。
今日は、7年前の退職から現在に至るまでを少し書いてみようと思います。
前職を退職するまで
30年前の今日、社会人スタート
7年前の今日、今の仕事につながる子育て専念(のつもりだった)人生がスタートしました。
23年間在籍していた会社では、「給与」というお金を通して、様々な社員の方と関わらせていただきました。社員の方と接することで学んだ対人スキルも大きかったのですが、働いている間は自分に対人スキルがないと思って苦手でした。
ーーー辞めてから気づくことってたくさんあります。対人スキルはありました。ないと思っていたのは、単なる私の「ポイントオブビュー(ものの見方)」でした。
会社というのは、雇用を通して社員を守り、生活を保障し、社員の所属(居場所)でもあり、人生の局面にもかかわることを学ばせていただきました。
この仕事自体が大好きで、退職するつもりは全くありませんでしたし、息子はその時3歳でしたが、楽しく保育園に通い、家庭と育児の両立もできていたし、忙しいながらも、充実した毎日を送っていました。
ところが、2月に早期退職の募集を見て、ふと、思ったのです。
「今のタイミングで辞めると、息子は幼稚園の年少組の入学式に間に合うんだな。」
入学式かぁ・・・・。
思った瞬間、ぶわぁー!と息子が幼稚園に通っているイメージが浮かんできました。手をつないで幼稚園に通い、幼稚園の園庭で息子が遊んでいる姿が。
幼稚園・・・・共働きの自分としては「現実と合わない」選択肢です。
その時、私は「退職した後の自分の人生がどうなるか?」というビジョンを持ったのです。現実的ではないな、と思いながら、なぜか魅かれる自分がいました。
しかし、それでも幼稚園だけのために辞めるのはアリエナイ!
23年間、会社員以外の自分を知らず、どういう自分になるのか想像できない状態でした。会社を離れたら、一体自分に何ができるのかさっぱりわからなかったのです。
なんで、このアリエナイ、現実とそぐわない選択肢に魅かれるんでしょう??不思議でした。
退職後の7年間、
その選択が周りの人へのギフトになるとしたら?
間違いなく、私の人生の中で、大きな選択肢であり、直感で選んだ選択肢でした。それも思ってみない形で。募集がなかったら私は退職しなかったでしょう。
ただ、息子の子育てにもっと関わりたい、高齢の母のこれからも心配、などもありました。そして息子が0歳の時、東日本大震災があって、その時のパニック、物不足など経験して、何かあった時に動ける・家族を守れる人間が必要だなと痛感したことも大きかったです。
そして夫と話し合い、退職しました。
「退職しよう」心から納得して決めたとき、涙が溢れました。自分にとって仕事というのが大きい存在だったし、収入がなくなるので、自立の手段を手放すことについては不安もありました。なにかあったら食べていけないって。
そして、始まった子どもとの幼稚園生活。なかなか忙しくて子育て専念のつもりでいたら、その後すぐに、認知症が発覚した高齢の母の介護に直面しました。子育てと介護の日々で、その当時のことは忙しすぎてうろ覚えです。この状態で会社員は両立できなかったと間違いなく思います。
息子がすこしづつ手がかからなくなってきた年長の秋に、母のために朝ごはんを用意して起こしに行ったら、母がすでに亡くなっていました。突然のお別れでした。介護は2年間でした。
母とは介護するうえでは確執もあり、反発することも多かったのです。介護はきれいごとではなく、怒鳴られたり、つかみかかられたり、本当に地獄のような思いもしました。しかし、母の認知症が進んで、身体は動けるものの、母と自分の時間軸がずれていき、身じろぎもせず、一日中同じ姿勢でボーっとする母を見て、「人はこうやって緩慢な死に向かうのか」ということを目の当たりにしました。母が過ごしている時間の速さと私たちが過ごしている時間の速さはきっと違うんだろうな、と良く思いました。
感情はすれ違い、親子らしい共感の会話はなくなり、母とコミュニケーションが難しくなりました。
でも母にとっては、不幸・幸福の概念がなくなり、けっして不幸ではなかったでしょう。介護サービスも活用して、人間らしく最期までお世話してもらったと思います。
他界してからは、母との心の中での会話が増えて、特に、遺品整理をしていた時はたくさん会話ができて母の人生を追体験しました。今では良い思い出しかありません。
亡くなった母と、遺品整理をしながらの会話は「問いかけ」そのものでした。今にして思えば、ここからアクセスコンシャスネスへの準備が始まっていたのですね。
素晴らしい出会いに恵まれ、導かれ・・・思ってもいない形で、アクセスバーズを施術しています。そして前職の経験も今の自分に大きな力となっています。
何も失っていなかったし、すべてはつながった。
今、アクセスバーズをしている私は、気づいています。
退職したことをきっかけに、周りへのギフトになり、私の人生を変えていったことを。いったん失うことを選択したがゆえにもっともっと大きな形で返ってきたことを。
問題は、私達は失いたくないから選択しないということです。「絶対に失敗しないとわかっていたら、何を選びますか?」
– ギャリー・ダグラス
・自分がどんな存在になるかという選択によって、周りのあらゆるものが存在できるスペースを変化させるということに気づいていますか? ・これまでには全く違うやり方で選択ができるとしたら?その選択があなただけでなく、周りのみんなにとってもギフトとなるものは何でしょう? ・自分の選択の中で気づけば、失うことはほとんどありません。今まで失ってきたものはありましたか?失ってきたものはなにもないのです。 ・自分で選ぶだろうと思う形では選択はしません。そうできないからです。誤った選択はできないのです。 ・絶対に失敗しないとわかっていたら?何を選択しますか?人生は自分の思ってみない形で表れてきます。
上の「問いかけ」は、アクセスコンシャスネスの創始者、ギャリー氏とデーン氏からのメッセージです。
この春、何かを決断して、選択して、新しい生活に向かう方。
これから何かを始めようとされている方。
選択・決断に迷われている方。
どうぞ、自分の中の不安や恐れ、ネガティブな気持ちを手放してください。あなたが失うものは何もありません。
どうぞよい春になりますように。これ以上もっとよいことが?