《プレHIDEMIの物語 Vol.4》― 庭に刻まれた記憶 ― 祖母・なをと、祖父の離れ ―

HIDEMIサロンへようこそ。

HIDEMIという場には、言葉にならない記憶が流れています。

ここから綴るのは、その記憶のいくつかを、
小さかった私の目線や体感を通して見えていた風景とともに記したものです。

これは私個人の思い出でありながら、
この空間に刻まれた“場の記憶”でもあります。

《プレHIDEMIの物語 Vol.4》
― 庭に刻まれた記憶 ― 祖母・なをと、祖父の離れ ―

 

この庭には、何かが宿っている気がする。
目に見えないけれど、たしかにここに流れているもの――

私はそれを、遠い山の記憶から、
連れてきているのかもしれないなと感じている。

そこに静かに座っていた祖母の姿が、
いまもこの庭の空気のなかに溶け込んでいる気がする。

昭和41年、5月。
東京・板橋の庭にて――
祖母・玉置なを、88歳。

写真屋さんを呼んで撮ったその一枚は、
まるで家族の記憶を庭に刻む、静かな儀式のようだった。

庭に椅子を据え、
着物を整え、
背後には季節の草花と、古い木造の家。

この庭が、祖母にとっても、家族にとっても、
どれほど大切な場所だったかが、
その一枚からにじみ出ている。

今、わたしは、この庭に寄り添うように建てられた建物と、
小さな庭の記憶を、静かに受け継いでいる。

祖母・玉置なをは、十津川の玉置神社の神主の家に生まれ、
最期まで東京・大山に暮らした。

物静かな、凛とした人だったという。

祖母が遺した手紙には、こう書かれていた。
「心配不要。気にかけるに及ばず。」

それは、残してきた十津川の家や墓への思いについてだった。

祖母・なをについて、私は多くを知っているわけではない。
けれど、一通の手紙を通して、
「ああ、きっとこういう人だったのだろう」と感じている。

心配不要。気にかけるに及ばず。

その短い言葉に、
生ききった人の潔さと、
遺される者への深いやさしさが宿っていた。

憧れ、というよりも、
その在り方にそっと触れたような記憶が、
今の私のふるまいの奥に、静かに息づいている気がする。

その静かな人生の奥には、もうひとつの物語がある。

祖父のことだ。

十津川の山奥―玉置神社に向かう最後の集落、
神仏習合の時代は、宿坊で栄えたと言われる
「玉置川集落」で“離れ”をひらいていた。

そこは、人びとが薬を求めにやってくる場所――
からだの痛みだけでなく、暮らしの重さを背負った人たちが、
ひっそりと癒されていく、小さな“ケアの場”だった。

祖父は三代にわたって、この集落で薬を施し、医家として存在していたが、
明治12年の生まれなので、医師免許を持っていたかは、はっきりしない。
けれど、子どもたちは皆、西洋医学の道へ進み、
医専や医学部に行った。

祖父の生き方が次の世代へと受け継がれていったことは間違いない。

わたしはいま、HIDEMIという場をひらいている。

この都市の一隅に、人目に触れないその奥に、
ひっそりと息づく、小さな“杜”のような庭がある。

その根っこには、祖母が佇んでいた庭の気配と、
祖父が薬を手渡していた“離れ”の記憶が、
静かに流れているのだと思う。

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