HIDEMIサロンへようこそ。
HIDEMIという場には、言葉にならない記憶が流れています。
ここから綴るのは、その記憶のいくつかを、
小さかった私の目線や体感を通して見えていた風景とともに記したものです。
これは私個人の思い出でありながら、
この空間に刻まれた“場の記憶”でもあります。
《プレHIDEMIの物語 Vol.3》建物の記憶と“少年の声”――玉置医院からHIDEMIへ
52年前、まだコンクリの建物が職人さんの手で作られていたころ。
HIDEMIの前身、玉置医院の建築が始まりました。
型枠を作り、生コンクリートを流しこむ。今ではコスト高の方法ですが、
そのころはそれが一般的でした。
父と毎日現場に見に行くのが、なによりもワクワク楽しかったのです。
1階、2階、3階と出来上がっていく過程を、ドキドキしながら見守っておりました。
それまでは平屋の診療所。日本家屋のような診療所でした。
その庭に建てられつつある父のビル。
憧れの「階段がついたよ」と父に聞いて、「2階に上がれる!」と
まだ幼い私は、よいしょ、よいしょ、と小さな声を出しながら、一段ずつ登っていったことを覚えています。
2階からの景色は、ひらけていて、見慣れた景色が違って見えました。
昭和のおおらかな時代。工事現場は子供たちの遊び場。
今にしてみてみれば、なんて雑然とした工事現場。
でも、そこには確かな人の気配と、子供たちの笑い声がありました。
医院建築らしく、飾り気を排したシンプルな造り。
その外壁に、そのころ広まりつつあった茶色の施釉タイルが貼られました。
しっとりと光る色むらが、柔らかな奥行きを生む施釉タイル。
今ではもう作られていない、その一枚一枚の表情に、当時の手仕事の気配がそっと残っています。
現在HIDEMIを整えている私が、
この建物から受け取る声はいつも“少年”の声です。
「ねぇねぇここで何が始まるの」
「これからいっぱいいろんな人が来るの?嬉しいな」
「いっぱい訪ねてきてほしいね」
「僕も手伝うよ」「僕に任せて」
もしかしたら、あの時の建築中の
私の声も混じっているのかもしれません。
建物は築52年で、
それを建てた父ももうすでに亡く、生きていたら100歳以上。
今では歴史の住人となりつつあります。
父の声は、「ここはお前がつかいなさい」と
優しい命令の声がするように感じます。
その中で、家族の営みをはぐくんでくれたこの建物の声は
今なお未来を向いていて、無邪気な希望に満ちている。
この可能性のあふれる声を聴きながら、
HIDEMIのこの建物――癒しとケアの記憶――が見守る声を
これからも大切に育てていきたいと思います。
完成したばかりの玉置医院の前で。
まだ何も始まっていない、その始まりのとき。